にっきっ記

気軽に書いてる日記です。お気軽にどうぞ。

やまやーま やーまやーま

里芋の美味しい食べ方

1 皮を剥いてふかして柔らかくする。

2 素揚げする(片栗粉つけてもok)。

3 揚げた後、だし醤油に絡め、味をつける。

4 炊いたご飯と混ぜ合わせる。(出汁で炊いた炊き込みご飯だと最高。でもなかったら普通のご飯でok。その場合塩を振ると良い)

5 超うまい。

出しておくれ 出しておくれ




人間は、のべ何人いるんだろう。のべと言うのは、今まで死んでしまった人も含める、という意味ね。何兆、何京、もっといるかなあ。 




 とにかく、今までとんでもない数の人生がある。で、みんな、僕って何者だなんだろう、あたしって何なんだっけと考える。ある人はそのことばかり長ぁく考えているし、ある人はフッと頭をかすめる程度かもしれない。で、結局みんな分からない。自分が何者なのか、考えても分からない。宗教、すなわち考えることの出来る次元に物や命に意味づけをするとか、それを信じる信じないという話じゃなくてね。ともかく、人間、ただ1人の例外もなく、自分が何者なのか分からないまま生まれ、生き、死んでいく。


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 寝起きの頭はイヤにすっきりして、今生きているこの瞬間が、えらく途方もないもののような、ずっと親しみのあるもののような、そんな気がして、たとえ夜中だろうと、ドライブにでも行きたくなっちまうのさ。




ヘイ、気分はご機嫌かい

10月のある晴れた朝、ペダルを漕ぐ。

じっとしていると肌寒いけれど、ペダルを漕いでいると寒さはどこかへ行ってしまう。

まだ力強さの残る陽射しが、肌と服との間の空気を温めて、それが僕にまとわりつく。ハンドルを握る手は、風に当たって冷たいけれど、体はもわっと暑苦しい。走りながら袖をまくる。

県道53号線から有間ダム方面に入ると、そこから一気に勾配は増す。上り坂だ。右手に武州世直し一揆の壁画、左手に売店やませみ、さわらびの湯へ通じる広場を見送りながら、なおも坂道を上る。左右には杉林。日陰にもかかわらず、朝の光は、林やアスファルトに描かれた路側帯の線や制限速度の数字を青く浮かび上がらせている。

坂を登りきると景色が開ける。ここは有間ダム。ダムによって出来た湖は、その名を名栗湖という。

こんな朝早くからおっちゃん達は釣りをしているし、クマタカを狙ってカメラを構えてるおっちゃんもいる。が、不思議とおばちゃんは1人もいない。

湖をぐるりと一周廻って、売店やませみでオレンジムースを食べて帰路につく。帰りはつーっと下り道。行きはひいひい帰りはよいよい。

ご機嫌な1日のはじまりなのだ。

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まあまあ、秋ですし。

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人間というのは自分が信じられるもののために命を燃やしたい生き物みたいです。好きな人にはチョコあげたいし、好きな歌手には手拍子やコールをしたいのだ。


逆に、自分が信じることが出来ないもののためにエネルギーを使うというのは、とても屈辱的なことです。好きでもない歌い手に合わせて手拍子をさせられるとか、まがい物を買わせられるとか、嫌いな人に従わせられるとかいうのは、いずれもとても屈辱的なことです。


しかしこの屈辱も、中毒になってしまう場合があるので注意が必要であります。居心地悪い人間関係をずーっと続けてしまったり、やらされることに慣れて自分のやりたいことが分からなくなっているけれども、その関係を変えるのが怖くなってしまったり。


力から逃れるということは自分の中に覚悟を持っているということです。力よりも先に、覚悟が必要です。

晩御飯

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今日の晩御飯は


ふかし玄米

じゃこと小松菜の梅和え

豚肉と芋茎の醤油焼き

いちじく


です!


この芋茎(ずいき)とは里芋の茎。緑の茎は食べれないけど、赤いのは食べれるのだ。今日、師匠からもらったのだ。酒に合うらしい。うまい。