にっきっ記

気軽に書いてる日記です。お気軽にどうぞ。

んっ、あそーれ ほっほっ んっ、あそーれ

新しい仕事が始まるまでの時間、講座の準備をしたいのと、少しでも成長したいっていう気持ちがあって、よく図書館に足を運んでいる。


今日も図書館に来て興味のある本や担当の講座に関連する本などを棚から取って読みあさっていたのだが、ふと思った。


あれ、僕って何がしたいんだっけ、と。


読書の合間に昼寝もしたりしていて、もう時間は5時過ぎ。一日が終わりに向かっていく。それなのに自分がやりたいことが出来ていない感じ。焦燥感。


あ、待てよ待てよ。僕、何かを吸収する前に、僕の中のモノを外へ出さないとスッキリしなさそうだぞ、と思い、読書をやめて思っていることをノートに書くことにした。一旦仕切り直し。そういえば、このごろ色んな人との関わりの中で思い溜まっていることがあったのだった。



あたたかいスタッフや保護者の人に囲まれた中での保育を通して、僕はたとえ子供でも大人でも、どんな人にでも心から「オーケー、オーケー!」って言いたいっていう気持ちや、それぞれの持つ気持ちを裁かずにそのまま大事にしたいな、って思いが生まれた。そして、その思いは、僕が人と関わるうえで、大切にすることのひとつになった。

でも、このごろちょっと不具合が出てきている。いや、正確には前から感じていたんだけれど、はっきりと言葉にはしていなかったのだ。

いろんな人に「オーケーオーケー!」と言いたい気持ち、相手を大事にしたい気持ちがある。でも、それを形にするうえで、相手を大事にするために自分がへりくだったり、自分がプレイヤーとして舞台に立つことから逃げたり、あいまいなまま自分をごまかすってなると具合が悪い。そんな中途半端なやりとりをすると、そのあとに「くそっ!こんなフニャフニャしたいわけじゃねぇよ!」っていうすごく嫌な後味に襲われる。自分を犠牲にして、相手をたたせるっていうのはどうもよろしくないのだ。

いろんな人を大事にしたいっていうのは僕の本当の気持ち。でも、その人の何を大事にしたいか、とか、それを大事にしようとするあまり犠牲にしてしまっているものはないかとか、そういうところを整えていかないと、どこかに無理が来るんだろうなって思う。

自分と他人の責任をわけてあげる、みたいなところがキーワードなのかな。


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