にっきっ記

気軽に書いてる日記です。お気軽にどうぞ。

たとえば木の枝 たとえば花の色

 昔、台本を書いたときの話。
 はじめの方は「書きたい」と思って書いていたから、アイディアがごく自然に出てきた。リラックスしている体や頭からポンポンとアイディアが出てきた。

 でも、やがて「書かなきゃいけない」っていう状況になって、「なんとかおもしろいものを作らなきゃ」ってなったら、とたんに頭のスイッチが切り替わった。その頭からはアイディアはポンポン出なかった。おもしろいものを出そうとすれば出そうとするほど訳がわからなくなっていき、しまいには「おもしろいってどういうことだっけ?」というドツボにはまってしまった。それでも、なんとかおもしろいものをつくろうとして、あり得ない状況やナンセンスなセリフまわしを考えた。
 そうなっていくと、どんどんマニアックになっていくんだよね。より濃い味にするために、砂糖やソースをいっぱい使ったり、色をいっぱいつけようとするんだけど、そうすることで自然と感じる「おいしい」っていうのはもうどこかにいってしまっているのだ。おいしさとか、おもしろさにおいて大切なのは激しさではなくバランスのようです。それも、自然な身体によりそったバランス。

 この頃は、台本を書くこともなく、毎日子供たちと関わっている。子供たちの自然なあり方や発言に、毎日笑っている。仕込みなしの日常のなかで、その人のありのままを感じられると思わず笑ってしまう。そういう笑いっておもしろいだけでなく、見ていて安心するし、小賢しくないし、無理がないし、色んな味がするし、美しいなって思う。

 純粋な笑いだけを追求すると、笑い以外の価値を無いもののように扱ってしまい、自分をすり減らしていくような感覚をおぼえる。ありのままの自分を捨てて、何かになろうとする感覚。それって、持続不可能なエネルギーの出しかただと思うんだよ。「今」の「自分」を大事にしなかったら、元気がわいてこないのだ。

 空があんなにおくゆかしい色をしていて、毎日眺めても飽きないのは、そこに喜びも、悲しみも、ダイナミックさも、きめ細やかさも、強さも、弱さも、ただあるがままにあるからなのだ。

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