にっきっ記

気軽に書いてる日記です。お気軽にどうぞ。

春の夜長に

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生とか死とか考えた時に、死がどうしても想像できないのは「ない」からじゃないでしょうか。私たちは「ある」ことを想像することはできるけど、「ない」ことを想像するのはできないのだ。

「ない」というのは一体どういうことなんだろう。そもそも、果たして「ない」ものってあるのだろうか。

そこにあったはずのクッキーがない。

あったはずのクッキーが「ない」。どこにあるのかというと、さっきまでそこにいた食いしんぼうのおじちゃんのお腹の中にある。おじちゃんの体の中に入ったクッキーは、きっともう、クッキーとは分からないくらいバラバラになってるだろうな。バラバラになったクッキーはやがておじちゃんの肉や骨になるだろう。これは正確に言えば「なく」なったのではない。変化しただけだ。「かわった」だ。

だけれども、僕からしたら「なく」なってしまったように見える。僕の頭の中にはクッキーがあったからね。あったと思っていたものが姿を消してしまったように感じること。これが「ない」だ。でもこれは正確にいうと「かわった」だから、つまり「『ない』ように感じる」だね。

さて、もう一回はじめの質問。

そもそも「ない」ものってあるのだろうか。

とここまで書いて眠くなったから眠るのだ。

明日朝目覚めたら、眠い気持ちはすっきりなくなるわけだけど、これは「ない」なのかなあ。

ほいほいほい!

メープルシロップが完成した!

やった、ついに作れた。

言っても、イタヤカエデの樹液を採って煮詰めるだけなんだけどね。

葉っぱがあるうちにイタヤがどれかを見分け、目星をつけておく。葉っぱがおちるとすごい見分けにくくなるからね。ちなみに僕は葉っぱが落ちたために、せっかく見つけたイタヤが分かんなくなった。そいで、おっちゃんにイタヤを教えてもらって集めることにした。

それで集めた樹液がこれ。

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だいたい4.5L。もう一つ刺してたから、一本の木からは合計8Lくらい採れたことになる。ちなみに、幹の細いカエデにも刺してみたけど、そっちは全然採れなかった。

これを煮詰めていく。焦がさないように、ストーブの上でコトコトすること4.5日。

出来上がったのがこちら。

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小ビン1つ分。量にして120mlくらい。

舐めてみる。

んっ、甘い。

樹液の時はかすかな、頼りない甘さだったのが、しっかりとしたものに変わっている。砂糖の甘さとは違って、砂糖ほど力強くないけど、カエデの香りがする甘さ。うーむ、うまい。パンにつけたらおいしいだろうな。

ほろろんほろろん

酸素をつくるには、過酸化水素水に二酸化マンガンを加えて水上置換法でもって集めればいいってことを教えてもらったわけだけど、これ実生活じゃなかなか使わないっすね!

僕がこの頃知りたいのは、近くの川に住んでいる魚に原発事故の放射能がどのくらい影響しているのか、や、食べれる雑草の見分け方、イタヤカエデから樹液を採るにはどのくらいの大きさの穴をいつ開けたらいいか、や、自分の肌に合った化粧水と乳液の作り方、生態系への負荷が少ない洗濯剤の作り方、鹿のワナの作り方、クルミのおいしい食べ方、などです。水上置換法よりもずいぶん生活の役に立つと思うんだけど、いかがでしょうか。

はいっ!

スマホのゲームというものを、どんなもんかと思ってやってみたけど、今日はダルくて最悪の朝を迎えたよ。バッドモーニング、エブリワン!

ゲームというのはやってる時は楽しい(というよりも「やめられない」というのが正しい表現だと思う)けど、やり終わった後がものすごく嫌な気分になるよね。音や映像の刺激や達成感で脳が暴走する。体の声が聞こえなくなる。体は脳に引きづり回される。結果、バッドモーニング。

電車乗ってもゲームしてる人すごい多いけど、あの人たちが、もし暇さえあればゲームしてるとすれば、それは頭も体もおかしくなるよなあ。

さっ、今日も朝日が昇って来たぜ。

やっぱ体が喜ぶことをするに限るぜええええええええ!

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無為自然!!

Sister Act

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天使にラブソングを」を久々に見たけど、あれすごいうまい映画だなあ!と思う。

天使にラブソングを」とは1990年代のアメリカ映画。ギャングの殺人現場を偶然目撃してしまった歌手が修道院に身を潜める。修道院聖歌隊を指導していくことになった彼女は、形式的でド下手だった隊を、型破りでエネルギッシュなものへと変えていく、というストーリー。とてもハッピーな映画。ウェンディ・マッケナが超かわいい。

この手の映画は、一歩間違えばものすごく野暮で、「はいはい」みたいなものになってしまうだろうけども、これはうまいなぁ、と感動した。

桂文珍は、エンターテイメントを「喜怒哀楽を人工的に作り出すこと」とズバリ言い切っていた。それは的確だと思う。

「いかに観客の心を動かすか」あんまり嘘っぽいと白けちゃうし、あんまり間延びしてると退屈だし、焦らすことで得られる感動もあるわけだし。それをいかに上手に混ぜ合わせて、一つの作品にするかというのは、ものすごく難しいものだと思う。

キャストが同じというので続編、「天使にラブソングを2」も見てみた。

こっちも、役者もスタッフも気合い入れて作っている。そしてストーリーをかなり詰め込んでいる。というか詰め込みすぎている。全部やろうとすると大長編になってしまうため、不要なシーンをカットしまくったであろう編集作業が伺われる。観ていて、残念ながら観客の心は置いてかれちゃうように感じた。映画の内容よりも制作の裏側を想像させられる作品。「やっぱり映画作るのって大変ですよねえ」と思ったよ。