にっきっ記

気軽に書いてる日記です。お気軽にどうぞ。

よいしょっ

夢を見るってのは、今よりももっと素敵な日々が来るのを信じるってこと。

信じるってことはつまり、そのために足りないところを今努力するってこと。

だから夢と努力はセットなのだ。

何を青臭いことを、と恥ずかしい気持ちもわいてくるが、

人生は短いから恥ずかしがってる場合じゃねえのだ。

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葉っぱのフレディ・マーキュリー

多くの人が、かなありの心配を重ねながら毎日を過ごしている。

生きているだけで奇跡なのだ。ならばそんなに心配することもないじゃないか。

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本日決まりましタァー、座右の銘でぇーござい。

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僕は心から信じたいし、人が心から信じられるものをつくりたいのだ。

三平くん

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寝なきゃいかんのに、やらなきゃいかんことあるのに、と分かっているのに描いてしまった。

矢口高雄の絵は魔力的魅力があると思います。

今日は一段とガラガラヘビな気分です。

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自分っちゅう馬を乗りこなしていくのが人生という気がしておりますが、いかがでしょうか。

春の夜長に

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生とか死とか考えた時に、死がどうしても想像できないのは「ない」からじゃないでしょうか。私たちは「ある」ことを想像することはできるけど、「ない」ことを想像するのはできないのだ。

「ない」というのは一体どういうことなんだろう。そもそも、果たして「ない」ものってあるのだろうか。

そこにあったはずのクッキーがない。

あったはずのクッキーが「ない」。どこにあるのかというと、さっきまでそこにいた食いしんぼうのおじちゃんのお腹の中にある。おじちゃんの体の中に入ったクッキーは、きっともう、クッキーとは分からないくらいバラバラになってるだろうな。バラバラになったクッキーはやがておじちゃんの肉や骨になるだろう。これは正確に言えば「なく」なったのではない。変化しただけだ。「かわった」だ。

だけれども、僕からしたら「なく」なってしまったように見える。僕の頭の中にはクッキーがあったからね。あったと思っていたものが姿を消してしまったように感じること。これが「ない」だ。でもこれは正確にいうと「かわった」だから、つまり「『ない』ように感じる」だね。

さて、もう一回はじめの質問。

そもそも「ない」ものってあるのだろうか。

とここまで書いて眠くなったから眠るのだ。

明日朝目覚めたら、眠い気持ちはすっきりなくなるわけだけど、これは「ない」なのかなあ。