にっきっ記

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春の夜長に

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生とか死とか考えた時に、死がどうしても想像できないのは「ない」からじゃないでしょうか。私たちは「ある」ことを想像することはできるけど、「ない」ことを想像するのはできないのだ。

「ない」というのは一体どういうことなんだろう。そもそも、果たして「ない」ものってあるのだろうか。

そこにあったはずのクッキーがない。

あったはずのクッキーが「ない」。どこにあるのかというと、さっきまでそこにいた食いしんぼうのおじちゃんのお腹の中にある。おじちゃんの体の中に入ったクッキーは、きっともう、クッキーとは分からないくらいバラバラになってるだろうな。バラバラになったクッキーはやがておじちゃんの肉や骨になるだろう。これは正確に言えば「なく」なったのではない。変化しただけだ。「かわった」だ。

だけれども、僕からしたら「なく」なってしまったように見える。僕の頭の中にはクッキーがあったからね。あったと思っていたものが姿を消してしまったように感じること。これが「ない」だ。でもこれは正確にいうと「かわった」だから、つまり「『ない』ように感じる」だね。

さて、もう一回はじめの質問。

そもそも「ない」ものってあるのだろうか。

とここまで書いて眠くなったから眠るのだ。

明日朝目覚めたら、眠い気持ちはすっきりなくなるわけだけど、これは「ない」なのかなあ。